Wisps

Just Another Journal

July 11 (Sun)

 出口さんは今年の1月から病気療養に入られている。ふと思い、大学の広報ページを見ると、自分の頭の中では7月と思いこんでいた復帰が8月とアナウンスされていることを読む。

この2年か3年ほど「教養」流行りだ。ということで、こうしたタイトルのつく本もでるのだろうけれども、出口さんがおっしゃっている本質は、どんな本を読んだところで変わらない。それが本質というものなのだろうと思わされる。

 次から次へと繰り広げられる「名言」から出口さんの考えが展開される。その中の一冊でも読んでみようという気持ちになるのはぼくだけではないはずだ。但しと踏みとどまる。ぼくの中いある興味関心はなんなのかと問いかけられているかのようだ。やがて、その興味関心は、まるで、お前は何者なんだ?という問いに変わる。

 何者になる、あるいはなろうとする必要はない。そんな努力は徒労におわることが99%なのだから。それよりも、大きな河の流れに身を任せ、今日を楽しく、一生懸命に生きていればそれでいい。興味関心ドリブンに目の前に流れてくる川のなかを、眉間にシワを寄せることなく、興味関心のおもむくま一生懸命に楽しんで泳いでいけば良い。

 この1ヶ月ほど、平日は日に14時間を超える時間をパソコンの前で過ごしていた。もちろん仕事をしていたわけなのだけれども、はたしてそれは必要な時間だったのか。計画を立て、やるべきことを見極め、せめて8時間で終わらせることはできなかったのか。残りの6時間を、たとえば本を読み、家族と笑う時間に向けられていたとしたら、もっと人生が豊かになったのではないか。そんなことを考えさせられる。

労働人口が極端に少なくなるこれからの時代に対する考察をろくにせず(つまりあぁだこうだと選ばなければ、仕事はおそらくあるだろうこれからの時代のことだ)、仕事を失うことの可能性だけに付き動かれ、その恐れからただ無為な時間をPCの前で過ごしてはいなかったか。その結果、本来働き続けるために必要な勉強の時間をおろそかにしていなかっただろうか。

勉強の時間が圧倒的に足りていない日本人サラリーマンになってしまっていることを改めて自覚した。

July 10 (Sat)

楔を打ち込むように生きていかないと、あかんなぁー。という日。

なかなか雨の止まない土曜日。Audrey Tang さんの本を読んでいた。 

 随分と以前から名前は聞いていたし、ここ最近彼女のTedTalkなどを聞いていたので、政治への関わりだとかそういったところは既知のことが多かったが、そうしたAudreyさんが作られていった過程の話しや、その他もろもろはインスピレーションを受けるところが多かった。

オードリーさんが台灣に生まれたということが、台灣の国、人たちにとって幸運だったことなのか、あるいは台灣だからこそ、そしてそこには台灣の人々がいたからこそ、オードリー・タンさんに光があたったのか。きっとその両方なのだと思いながら読み続けた。

夫婦別姓だけでもごちゃごちゃしている日本を思うと、Diversity だとかInclusionだとか、大きな声は聞こえるけれども、道は遠いなと感じざるを得ない。メディアではそうした人たちも活躍をしている。しかし、あくまでもタレントさんたちという、ある種特別な存在の次元であって、もっと肌身に近いところではまだまだなんだよな。

  • 一緒に同じものを食べ(Virtualでも同時性は担保できるし)
  • 一緒に同じ空気を吸い(もちろんVirtualな環境でもOKだ)
  • 一緒にあれやこれやと悩みや課題を語り合い、小さな変化(行動)を起こすことを伴にできると

そんなに難しいことではないんだと思うのだけれども。

he, his, him.

 

July 9th (Fri) - ハッピーフライデーという名の免罪符

雨が続く。洗濯物が乾かない。乾かないだけなら問題は無いが部屋干し臭に悩まされることになる。先日も一枚、3年以上着ていたTシャツがだめになった。。。ということで、今日は午後から一旦自宅で選択をしたものを近所のコインランドリーの乾燥機へと運ぶ。一軒目に向かった先では、同じような悩みを持っていたと思われる人々が、ほとんどの乾燥機を使っていて、急ぎ別の店へと車を走らせる。32分間のドライを設定し、その間にスーパーへと向かう。ビールを何本か仕込み、犬のトイレマットも仕入れ、戻るとちょうどドライが終わりかかっていた。

コインランドリーで仕事をするのは、東京で単身赴任をしたときでお終いだと思っていたが、こんなこともあるのだ。今年の梅雨の最後の雨はやたらめったらとしつこい。

その後は午後5時過ぎからビールを飲みながらポツポツと仕事のメールを書く。ハッピーフライデーだ。こんなことも許してもらえるだろう。

 

July 8 (Thur)

3日続くハードワークの最終日。夜9時半、10時半とあった会議が土壇場でキャンセル。しかし、10時半の会議はキャンセルリクエストが会議開始後に流れるというハプニングで、すでに3人ほどがTeamsに入っていたので、しばらくその他2名とチャットして終了。初めて会うUSのスタッフだったが、いずれも大人な人々で会話がなにげにすすむ。結果オーライ。

その後、1時すぎまで諸々Teamsチャットで打ち合わせを進め、シャワーを浴びて終了。

思いの外、その後よく寝れる。

寝る前にAudrey Tang関連の本を読む。

Forget your perfect offering.

There is a crack in everything.

That's how the light gets in.

今決して見えることのないCrackは、いつ、どうしたタイミングで目の前に現れるだろうか。それを考えながら、気がつくと朝になっていた。

 

 

July 6th (Tue) - 7th (Wed), 2021 -- 降り止まない雨、デスクに向かい続ける時間

July 7th (Wed)

終日激しい雨。少し丘をあがったところにある自宅から仕事をしているので、雨の影響をそこまで心配することはないが、まったく外に出れない(つまり1時間半の散歩ができない)ことがストレスとなる。

その結果、朝10時の会議から気づけば、深夜2時だった。都合16時間をパソコンの前で過ごしていることとなる。(もちろん、途中途中で食事やお茶の時間はいれているが。そんなことでもなければ、おかしくなる。)

問題はどうやら自分だけではないようだ。APAC本社で働く多くのスタッフが、深夜過ぎにメールを放っている。だからといって、個別にコミュニケーションをTeams等で始めるわけではないが、薄めの連帯感のようなものを感じ、アドレナリンがまわる。

2時に切り上げ、1時間ほどクールダウンをしてからベッドにはいるが、高ぶった神経が収まることはなかなかない。気づけば薄っすらと外は白じんでいる。おそらく4時ごろまでゴロゴロとしていたのだろう。翌朝は8時半に目を覚まし、再び10時からの会議に向かうために、ベッドの横においた作業机に向かう。なんていう生活なんだ。

 

July 6th (Tue)

火曜日からは3日間続く会議連続の毎日だ。気づけば、朝11時のTeams会議に始まり、夜7時半までほぼ誰かとビデオを通してつながっている状態。社内の会議は顔を映す必要がないため(だれが喜んで自分の顔をビデオに映すというのだ)、割合と心的な負担はないが、クライアントとの会議は1時間ずっとビデオに映る自分がそこにいるという状態に、1年以上経った今も、気づけば疲れたなと感じることとなる。「環境適応」こそが鍵ということを自分に言い聞かせながら進む毎日。

 

July 4 (sun) - 5 (mon)

July 5 (Mon)

ここのところずっと取り掛かってきていたA社のプロジェクトがほぼLoss確定だとの連絡が社内チャットで夕方上司から入ってくる。3週間程度、毎日深夜過ぎまでパワーポイントの資料を作ったり、戦略を練ったり、あるいは社内コミュニケーションをすすめたり、果てはクライアントプレゼンテーションを行ったりということをすすめてきていただけに、心的な痛手は思った以上だったが、それと同時に得たものも多いということに、夜の長いウォーキング中に気づく。そう、一見すれば、事象は最悪につきないのだが、わたしという個人の人生の中の数ページというふうに視点をずらすと、これだけ自分の進化に役立った経験はなかったと思える。

経験にどんなラベルを貼り付けるのかは自分が決めることだ。今回は、プラスとマイナスの両方を貼り付けておく。そういう療法があってもいいじゃないか。

それにしても、いったいスライドを何枚作り、何枚ボツにしてきたんだろうか・・・。そのために積み上げたデータも含め、Dropboxに残された、数々のファイルだけが、冷たい事実とともに、目の前に並んでいる。

いつの間にか、スライドに頼りすぎたのではないか、依存があったのではないか、いろいろな反省は尽きないが、このあたりは更に磨きをかけていけばいいことだ。Just move onだ。

 

July 4 (sun)

一日をじっと過ごすつもりにしていたが、午後からは諸々と狭いところを走らなくてはならないという理由から、YとRの買い物にドライバー役を買って出る。それでも午前中はじっくりとデスクに座り、受講を続けた。受講するパターンを見つることがだんだんとできてきている実感を持つ。まずは10分程度のビデオを集中して見る。とにかく見る。その後、必要な箇所に戻り、画面を止めて、まるで写経をするかのように、そこに書かれている新しい知識を手書き、もしくは画面に打ち込む。手書きのほうがどちらかというと考えることを助けてくれるみたいだ。その後、学んだことをはてなのブログに書く。このときに、著作権のことなども気になるので、内容を少し変え(ということは、つまり自分で考えるという作業が発生するのだけれども)て書く。こうすることで、外出先でもそのブログに立ち返りさせすれば、その知識の復習ができるという仕組みだ。その結果、ほんの10分の講座でも、作業をおこなっていると20分程度はゆうにかかってしまう。長い講座なので、先を考えるとはたしてこれでいいのだろうかと思わないでもないが、基礎を作らずに応用はきかないはずなので、ここはあくまでも基礎を作るだめだ、と自分に言い聞かせて前に進む。