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Just Another Journal

4月30日 和歌山の海の夕日撮影と邦ロックレクチャー、そしてブリティッシュ・ロックとジャズ

連休三日目。例のPentaxデジイチにオールドレンズを仕込み和歌山の海へ。それは息子の希望だったが、思いがけず良いドライブとなる。

道中、息子は「邦ロック」をiTunes でかけ、スバルのカーオーディオにブルートゥースで飛ばす。Mrs. Green Apple、Shout it out、The Oral Cigarettesなど、意外にも楽しく聴かせてもらい、同時に息子から邦ロックに関するレクチャーをいくつか受ける。

青年の主張

青年の主張

 
*ボーカルのストレートさ、ドラムのキビキビしたところが気に入る。
ENSEMBLE (初回限定盤)(DVD付)

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*ドラムがドスンと腹に響いて好印象。
1st LIVE DVD「UNOFFICIAL DINING TOUR 2017 at 日本武道館」
 *ナルシスト・ボーカルと言ってしまうのか、あるいは、それを高貴な色気ととるのか。自分には後者に聞こえ、聴いていて楽しい。「ナラの誇り」と呼ばれているらしい。おっしゃる通り。

自分からはOasisBill EvansVan Morrison の紹介などを少し

(What's The Story) Morning Glory? (Remastered) (Delux)

(What's The Story) Morning Glory? (Remastered) (Delux)

 
Waltz for Debbie

Waltz for Debbie

 
Essential Van Morrison

Essential Van Morrison

 

往復、およそ5時間ほどのドライブも音楽があるだけで楽しい。

夜11時前に帰宅後、新訂 孫子 (岩波文庫) を読みながら眠りに落ちる。

4月29日 韓国の太鼓

連休二日目。韓国の太鼓囃子が聞こえる、大阪の小さな路地を歩いた。太鼓囃子といっても随分と賑やかだったが、一時期よく見た韓国の歴史ドラマを彷彿とさせる。

わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座 (ちくま新書) を読了。数々の示唆に富んでいる。Google Keepに少しメモをとりながら。

特に「所有のパラドクス(ヘーゲル)」に関する記述が面白かったことと、「イニシアチブの放棄」という考え方に多くの示唆をもらう。

4月28日 心斎橋 中古カメラ屋

車で心斎橋にでかけ、周辺をうろうろ。

Pentaxデジイチにつけるオールドレンズを探す。ネットで検索をすると、難波・心斎橋、そして梅田に何件かあることを確認。どうせならと難波・心斎橋近辺の中古カメラ屋をすべて回る。3時間程度、歩いて回りきれるコンパクトさが大阪の良いところ。

最終的に、カメラのキタムラで40年ほど前の50ミリ/1.7を格安で購入。

夕飯を食べ帰宅後、わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座 (ちくま新書) を読む。

 

 

4月26日 ・27日 リモートワーク

仕事をリモートで続ける。

メールとその他の作業がほとんどの毎日なので、場所が変わったからといって、何も変わるわけではない。一時期流行ったノマドだって問題なしだ。

環境が変わると、本に手が伸びない。その他の刺激にあふれている。例えば、犬の散歩。

4月25日 手術そして再び電車の旅

身内が内臓の比較的大きな手術を受けた。病院で3時間、待ち続ける。

手術終了後、昨晩と同じように最終ひとつまえの特急に乗る。特急しなの。今度は名古屋に向かった。その後、同じように広島行きの最終のぞみで京都に向かい、その後近鉄電車で奈良へ。

車中、疲れ切っていたのか、本を開く気持ちにはならない。

4月24日 夜の特急あずさ

仕事を夕方切り上げ、新宿に向かう。最終一本前の特急あずさに乗る。

スーパーあずさではない、あずさ号。携帯の充電もできないし、停車駅も多い。なつかしいタイプの鉄道の旅には、むしろこちらかもしれない。

車中は、ハイボールを飲みながら、The Girl in the Spider's Web: A Lisbeth Salander novel, continuing Stieg Larsson's Millennium Series を読む。まだ500ページ分の200ページ弱。ボリュームが多いのがむしろ幸いだ。ゆっくり、噛みしめるように読み続ける。

 

4月23日(Mon)休みについて考えていた 月曜日という一日

週末、久しぶりに古い友人とたっぷりと時間をすごしたので、朝7時すぎから、同じくたっぷりと仕事をする。

今の日本では、副業に関して多くの人々の関心が止むことがないように見えるが、副業がエスカレートして、人間が休む時間を失うことは危険だと思っている。おそらく、多くの日本人がそうした副業の罠のようなものに陥るのではないかと思う。副業をするというような贅沢はなかったが、自分自身が何年か前にそれに近い経験して、身も心もすり減らした経験があった。すべてが消耗され、インスピレーションさえ湧かなくなる状態は、人間にとって危険だ。Worn outすることこそが、何よりものリスクであると感じた瞬間だった。

もちろん副業を否定するのではない。しかし、副業が生活に追加されるということは、仕事をしない時間に対して、僕らはもっと真剣にならないといけないようになるということも意味するのではないかと思ったりするのだ。たとえそれが、単に小説などのフィクションの読書に没頭する数時間であったとしてもだ。

僕ら多くのサラリーマンと呼ばる人々がそうであるように、知識活動を売り物にする労働者にとって、生産性の低下、アイディアの枯渇こそが、もっとも危惧すべき課題だろう。休みという、生活の中の空白を失うと生産性は低下するというのは、以前の生活から体験したこと。だから、休むことに対しても、もっと意識的でなくてはならない。

たまたま今週末時間を過ごしていた二人の友人が外国人であったからかもしれないが、休むことに対するコミットメントのようなものを肌で感じることとなった。とにかくよく喋り、笑い、飲み、食い、金も使う。

そしてふたりとも、企業の一線でマネジメント職に就く知識労働者である。

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