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Just Another Journal

4月23日(Mon)休みについて考えていた 月曜日という一日

週末、久しぶりに古い友人とたっぷりと時間をすごしたので、朝7時すぎから、同じくたっぷりと仕事をする。

今の日本では、副業に関して多くの人々の関心が止むことがないように見えるが、副業がエスカレートして、人間が休む時間を失うことは危険だと思っている。おそらく、多くの日本人がそうした副業の罠のようなものに陥るのではないかと思う。副業をするというような贅沢はなかったが、自分自身が何年か前にそれに近い経験して、身も心もすり減らした経験があった。すべてが消耗され、インスピレーションさえ湧かなくなる状態は、人間にとって危険だ。Worn outすることこそが、何よりものリスクであると感じた瞬間だった。

もちろん副業を否定するのではない。しかし、副業が生活に追加されるということは、仕事をしない時間に対して、僕らはもっと真剣にならないといけないようになるということも意味するのではないかと思ったりするのだ。たとえそれが、単に小説などのフィクションの読書に没頭する数時間であったとしてもだ。

僕ら多くのサラリーマンと呼ばる人々がそうであるように、知識活動を売り物にする労働者にとって、生産性の低下、アイディアの枯渇こそが、もっとも危惧すべき課題だろう。休みという、生活の中の空白を失うと生産性は低下するというのは、以前の生活から体験したこと。だから、休むことに対しても、もっと意識的でなくてはならない。

たまたま今週末時間を過ごしていた二人の友人が外国人であったからかもしれないが、休むことに対するコミットメントのようなものを肌で感じることとなった。とにかくよく喋り、笑い、飲み、食い、金も使う。

そしてふたりとも、企業の一線でマネジメント職に就く知識労働者である。

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