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Just Another Journal

神社へのお参りでのできごと

3週間ほど前、ある行動をおこした。

年齢を考えると、そしてタイミングを考えると、そんなリスクを取るべきなのか、あるいは行動を起こしたところで、チャンスなどはあるのか、そんな言葉が心の中に浮かんでは消えて行動を起こせなくなりそうな自分がいることも感じていた。しかし、浮かんでしまった思いを止めることもできない。

今までだって、そうやって生きてきて、まだ生かしていただいているじゃないか。

そんな漠然とした生きることに対する根拠のない自信のような、あるいは信頼のようなものを手がかりに行動を起こした。

だからといって、そう強がってばかりもいられない。神様の力にすがりたくもなる。

その結果、行動を起こす直前に東京のとある神社にお参りをしていた。

行動を起こしたからといって、それが直ぐに結果に繋がるわけではない。

それは、僕ら生身の肉体をもった人間に与えられた宿命のようなものだ。

種は蒔かれ、萌芽の時を待つ。待つことはときに辛い。その辛さを乗り越えるために必要なのは、やはり自分自信の運命や宿命に対する信頼のようなものだ。

 

そして、アクションを起こせたことは一つの結果であり、それはいわば一つの成功とも言える。

だから、行動を起こす直前にお参りをした神社に、お礼参りをすることにした。

 

梅雨がやってくるかのような、ムシムシとした空気の中を、15分ほど歩いて神社にたどり着く。

社の前に立ち、お賽銭を入れようと、一歩踏み出すと、突然スズメバチが現れた。

まるでお参りをする僕を威嚇するかのように、賽銭箱の上を時計回りにまわっている。

当然、僕は一瞬立ち止まり、スズメバチが一刻も早く賽銭箱の上から消えてくれることを祈る。

しかし、そう簡単には物事は進まなかった。

スズメバチはこともあろうに、賽銭箱の前で立ちすくむ僕に向かって飛んできたのだった。

何歩か下がりながら、一回転してスズメバチをかわそうとしている間に、僕はその姿を見失った。

もしや、着ているジャケットにとまったのか。ズボンにとまったのか。神社にお参りをして、スズメバチに刺されたなんてことになったら、冗談ではすまない。

瞬間の恐怖を振り切るように、着ていたジャケットをあわてて脱ぐ。同時に、ズボンも確認をする。一瞬、太もものあたりにチクッとした感覚があったが、スズメバチに刺されたのであれば、そんな程度で済むはずはない。

そんなあれこれが、一瞬の間に頭の中を駆け巡る。

どうやら大丈夫なようだ。ジャケットにもスズメバチがとまっている様子はない。

念の為、首筋を手で払い、ほんの少しの間、落ち着こうとする。

改めてジャケットを着直し、今度こそ、お参りをする。

心はざわついたままだ。しかし、必死でありがとうございましたと祈る。

 

お参りを済ませて、はたと気づいた。

そういえば、お清めをしていなかった。

スズメバチは、浮上なる僕に対して、神様のメッセージを伝えたかったのかもしれない。そう考えると、物事に合点がいくような気になる。

左手を見ると、きちんとお清めの場所があった。慌てて、その場に向かい、遅ればせながらではあるが、手を清め、口を清める。

そして、奥社へと向かった。

 

不浄なる僕。反省しきりであった。