Wisps

Just Another Journal

"The Girl in the Spider's Web"を読んだ

2019 #3

こともあろうに、この本を買ったのは、今からおよそ1年半前の海外出張中のことだった。最初は出張先のドイツだっただろうか、空港の本屋で見つけ、そのまま勢いでKindleで注文をしてデバイスの中に眠ったままだった。

率直な感想を言うのであれば、スティーグ・ラーソンが書いていたミレニアム3部作の続編であるのはわかっていたが、氏の亡き後に書かれた本書は以前ほどGripping でもPage Turning でもなかった。それはそれで残念でありながら、まあ、そんなものだよね、とも思ったり、変な納得感がある。だって、これを書いたのはスティーグ・ラーソンではなく、別の誰かなのだから。ミカエル・ブルムクヴィストも、リズベスサレンダーも、以前ほどは物語の中で生き生きとはしていないように感じたのは、自分の思い過ごしか。

けれども、やっぱりミカエル・ブルムクヴィストがそこにいること、リズベスサレンダーがそこにまたいること、その価値は大きい。

こうして物語が綴られていくのっていうのも、決して悪くはない。

勢いで、Amazonで見つけた続編を思わず注文してしまった。

 

The Girl in the Spider's Web (Millennium Series)

The Girl in the Spider's Web (Millennium Series)

 

 

「また、同じ夢を見ていた」(住野よる)を読んだ

2019 #2

また、同じ夢を見ていた (双葉文庫)

また、同じ夢を見ていた (双葉文庫)

 

 

高2になる息子から「これ、いいよ」と手渡された、表紙もなくなったボロボロの文庫本。

学校に行けない時期を過ごしている間にきっと読んだのだろう。桐生くんが物語の最後で、「学校に行く」と決心したとき、奈ノ花とのやりとりを聞いていた母親の言葉に胸がつまった。

小説を読むことは素晴らし体験なんだよ、ずっと息子や娘にそう伝えてあげたかった。でも、いざ親になるとなかなかそういうメッセージを本当の意味で伝えてあげるのは難しいことに葛藤があった。でもこの本を読み、子供達は自分なりのペースでその素晴らしさに気づいてくれていたんだ思うと心から嬉しかった。

パラレルワールド的な世界観が、まるで当たり前のように、こうして自然と心に染み込む形で世界にあらわれているということ、そのことにも、なんだかうれしかったなぁ。

「物語」という形には魂が宿る。大人になると「おもてづら」の良いビジネス書に目が行きがちだけれども、実はビジネスも全部人間がおこなっていること。魂の理解なく、ビジネスもないでしょう、心の底にいつも感じてる、そんなバスビートを弾く琴線にも触れた一冊でした。

人それぞれの登山道、僕はもっと「物語」を読もう。

考えてみたら、それが原点だったじゃないか。

「「神社」で読み解く日本史の謎」を読んだ

2019年#1

「神社」で読み解く日本史の謎 (PHP文庫)

「神社」で読み解く日本史の謎 (PHP文庫)

 

年末年始は多くの人にとって「神社」と向う機会の多い時となる。それは自分にとっても同じだが、昨年(2018年)から、神社がこれまで以上に自分の生活に多く関わることが多くなったため、京都駅で新幹線に乗る前に駅の本屋でパッと目に飛び込んで来て、買い求めたままとなっていたこの本を最後まで読んでみた。

自分においてもそうなのだけれども、僕ら日本人の生活、つまり生きるということにとって神社の存在は欠かせないものなんだろうなということを改めて思う。そして、そうした場所を持つ、この日本人の文化の中に生まれる縁をいただいたということに、じんわりと感謝の念を感じつつ、最後まで読み通した。

 

盲腸 チラスと手術

12月末、急な腹痛を感じ、近所のクリニックへ走る。

大した検査もせずに、医者は「ウイルス性胃腸炎だ」と断言。胃薬をもらって帰宅するが、その後も痛みは納まるどころか増すばかりだ。

友人からのLineで、「お前盲腸じゃないのか?」と言われ、急いで別の大きな(もう少しまともそうな)病院を探し、翌日訪れる。夕方の診察だったが、その場で「腹膜炎を伴う虫垂炎」と診断され、緊急入院。そのまま点滴を受け続け4日後に退院した。

退院後の診察で、「手術を一ヶ月後に」と言われ、仕事の都合などに合わせ、一ヶ月と1週間後にスケジュールを決めた。それが、今週の頭だった。

生まれて初めての全身麻酔は驚くほど良く効き、目を開いたときにはもう既に手術は終わっているという状態だった。

しかし、そこからが大変だったのは全身麻酔を経験したことのある人なら、かなりの確率で同意してくれるに違いない。

呼吸を取り戻すということ、一度止まった内蔵の動きを取り戻すということ、身体が切られたことを痛みという形で経験するということ、これはなかなかのものだ。

幸い傷口は小さくて済んでいる。退院も早かった。医者も看護師のみなさんも素晴らしい人達だった。あらゆる幸運がそこにはある。そのことにはつくづく感謝なのだが、この痛みとしばらく付き合っていくのは、日々なかなかの気合が求められる。

ただ大きな収穫もあった。

小さな病院のベッドの上で、人生を深く顧みることができたことだ。詳細は心の中に閉じておくが、これからの生き方そのものを変えるようなインパクトを持った時間であった。

 

11月3日(土曜日) North East Bound - Yamagata

レンタカーを久しぶりに借りて、山形へ。

南陽高畠ICを降り、目的地2箇所を無事に巡る。特に一箇所目を見つけるまでに非常に苦労は大変だった。同じ場所をぐるぐると周り、それでも見つからない。最後は地元の方々に場所をお聞きし、なんとか辿り着く。地元の方々に感謝したい。山形弁というのに初めて触れたが、とても耳あたりの優しい言葉でだった。

途中、高速の渋滞には辟易としたが、なんとか往復700キロを走破する。

練馬の営業所が閉まる直前に返却ができたのはいいが、帰り道は流石に体がふらついた。

10月19日(金)とんかつ定食の教訓

「私ね、ほんとに思うんですけど、男の人のケチだけは、ほんとにだめだと思うんですよ」

いつものおばあさん定食屋。遅い昼ごはんにありつく。

ほんとうは「とんかつ定食(880円)」を食べようと思って店にはいった。でも、ぱっと目にに飛び込んできた「メンチカツ定食(700円)」を頼んでしまっていた。

その直後にテレビから流れてきた上沼恵美子さんの言葉。

刺さったな。

20180930 台風がやってくるQ3の終わり

8月中旬から怒涛の日々をすごしてきている。そしてそれは終わりの気配を一向に見せることはない。

本を手にすることもない。ひたすら人に会い、電話会議とパソコンに向かう毎日。泥沼と呼べば泥沼だ。しかし、そこには肌で感じる、コミュニケーション感がある。ヒリヒリしていようが、なんであろうが、そこには確かに人がいて、気持ちは人が生み出した何かだ。

気持ちと気持ちがぶつかり合うのがビジネスなのかもしれない。

気づけば、Q3は今日でおしまい。

1年を4回に分け、それを節目として日々に向かう。ビジネスには白黒つけた線引が必要で、同時に人間という動物である僕らは、四季というどちらかといえば、もう少し曖昧な4つの区切りを肌で感じ、呼吸をする鼻腔で感じながら、日々を過ごしている。

台風といえば、どちらかというと夏のモノという肌感があったのは、とっくに昔の話。今夜も、激しい風と雨が東京を襲う。

バランスを取り戻すのでなく、無理矢理にでもバランスの要素となる何かを日々に取り入れられる隙間を自分から作ることが必要だ。

例えばそれは読書。

ハードコアな仕事に取り掛からざるを得ないのであれば、そこに雫のように感情を動かす何かが同時に必要だと思える。心はそれを求めている。

ゆっくりとした散歩が必要なのも、その一つだろう。季節の変わり目の空気を胸いっぱいに吸い込み、白黒つかない変化を感じるんだ。

スプレッドシートは明日からまっさらに新しくなるけれども、空気の変化はそんなものでは表せないのだから。